初めて会った人に、自分の職業を聞かれると、「ランドスケープアーキテクト」と答える。アメリカでは、大抵の場合は、「へえ、そうかぁ。」と返答があり、さらに、「今度、私の庭を見てくれよ。」とまで言われる事が多々ある。また、米国への入国手続きの空港の検査官も就労ビザを確認した際に、私の職業を聞き、ランドスケープアーキテクトの仕事をしていると私が言うと、すんなり通してくれる。このようにランドスケープの仕事が一般の人まで浸透している。以前は、米国もこの職業の言葉に馴染みがなかったらしいが、現在ではテレビのHGTV(Home and Garden Channel、家のリノベーションや不動産関係を中としたチャンネル)などで、建築家やインテリアデザイナーと並びランドスケープアーキテクトがよく取りあげられ、親しみ深い存在になったようだ。
しかし、日本に帰ってくると、このように簡単にはいかない。私の両親ですら、自分の息子が、一体、何の仕事をしているのか理解するのに数年かかったし、私の友人に説明するのも少し大変である。しまいには、「造園家みたいな仕事をしているよ。」と説明して何とか理解してもらう。「造園家みたいな」、という「みたいな」という部分に含まれる意味を、今回、いい機会だと思ったので分かりやすく話せたらと思う。
歴史的に、日本では庭を作るといことは「作庭」「造園」、昔は「石を立てる」という表現を使っていたらしい。特に、石を立てるという表現はとても興味深いし、これは、日本庭園の中に見られる石組を重要視する特徴から考えると納得してしまう表現だ。そして、この庭をつくる人たちを、「石立僧」(平安時代末期より策定に従事した僧侶)、「山水河原者・さんずいかわらもの」(室町時代に作庭に従事した者)、「庭師」(江戸時代に作庭に従事したもの)などが挙げられ、近代では庭の研究家や庭園技師が設計を主としてするようになり、「造園家」と呼ばれるようになった。しかし、私の仕事を造園家と表現していいのか?と考えると、それは適当ではないと考える。なぜなら、一般の人にとって造園という言葉が、「園を造る」という事で、この園は庭を意味し、「庭をつくる」という事になるからだ。
ランドスケープアーキテクトの仕事は、もちろん庭のデザインもするのだが、プロジェクトにより、そのスケールが庭から、公園、さらには町並み、商業地区といった敷地計画へ、最終的には都市計画・環境保全計画のように大規模なものを扱うからだ。だから、この仕事を造園家とはいい難く、景観という意味を持つlandscapeという言葉を用いたlandscape architectのほうが、相応しいことになる。結果的には、ランドスケープアーキテクトというのが、私の仕事である。
造園を直訳すれば、Landscape Architectureであり、この用語は、1827年にスコットランド人のGilbert Laing Measonによって発明されたという経緯がある。その後、1863年に、セントラルパークを設計したフレデリック・ロー・オルムステッド(Frederick Law Olmsted)が初めて自分の専門職業を、以前の人が使用していたGardenerやLandscape Gardenerと区別し、Landscape Architect(ランドスケープ・アーキテクト)と名乗りました。彼が残した功績はとても偉大であり、現在、オルムステッドはランドスケープアーキテクチュアの父と呼ばれています。